見出しへ戻る

のんちゃん 便り

第86号 2003年4月号

入院も悪くなかったよ

手も足もない望に点滴をすることは容易なことではありません。緊急に点滴が必要になった時、点滴を確保する技術の高い医師がいるかどうかが、望の命の分かれ目になる可能性もありました。身体の小さな望ですから、ちょっと体調を崩した時でも状態が急変することも考えられます。緊急時だけでなく、検査のための点滴や血液検査が必要になった時のために、確実に血管確保のできる医師を知っておく必要もありました。

でも、私たちの心配をよそに、望は、度々高熱を出したりしながらも、病気で入院や点滴をすることなく育ってきました。入院をしたのは、1歳すぎ頃までに行った3回の手術入院だけでした。望の体重は12キロになり、血管も多少は見やすくなって、点滴の確保も、以前ほど困難ではないだろうと言われるようになりました。望のように重い障害をもち、体力のない子どもが、救急車に乗ることもなく、入院することもなく、ここまできたのは、もしかしたらすごいことかもしれません。

2学期、1日も休むことなく元気に過ごした望でしたが、3学期は、体調を崩し続けました。1月末には、インフルエンザB型に罹り、回復は早かったものの風邪気味の状態が続きました。そして、2月末と3月中旬には嘔吐風邪に罹りました。今までは吐き下しの風邪に罹っても、ひどい状態にはならずに治まってきました。でも、2月末は、熱も40度近く出て、嘔吐も今までになく激しくて、ただでさえ薬を飲むのを嫌がってもどす望ですから、とても薬を飲ませられる状態ではありませんでした。体調を崩した時にいつも行く、近くの子ども病院に連れて行きました。薬を点滴で入れてもらうことにしました。身体が大きくなったといっても点滴の確保は簡単なことではありませんから、入院をすることになりました。今まで、ひどい風邪の時でも、意識はしっかりとして食欲もある望でしたし、何とか努力して薬を飲ませるようにし、入院については「近いので何かの時には連れて来ますから」と断り、自宅に連れ帰ってきたのですが、今回ばかりは仕方ありません。

その翌日、私に講師の仕事が入っていました。キャンセルをするわけにはいきません。医師に明日は付き添えないことを話すと「最初から完全看護で行きましょう」と言われました。かつて、大学病院での手術入院の時には、私がずっと付き添って入院をしていました。今回は、望1人で入院をすることになりました。夫と2人だけで医療的ケアの必要な望を育てているという我が家の事情をよくごぞんじの医師ですから、今回に限らず、いつもしっかりとサポートをしてくださいます。本当に心強く、感謝しています。昨日の朝までは予想もしていなかった望1人での入院が、あれよあれよという間に決まってしまいました。望をどこに預けても心配をしなかった私ですが、夜に望が親から離れて1人で過ごすことを思うと心配でたまらなくなりました。

入院初日は、昼過ぎに入院の荷物を取りに自宅に帰ったくらいで、夕食も食べさせて、面会終了の19時まで望の側にいました。望は、点滴の効果が早くて、熱も嘔吐も治まってきて、夕飯も少量でしたがゆっくりと食べました。望の入院を聞いた夫が、仕事を切り上げて面会終了時刻ぎりぎりに病院に来ました。19時になり、周りの親たちが帰り始め、私たちも腰を上げました。周りの子ども達が泣き始めました。望は、1人平気な顔をして、私たちにバイバイをしました。時々、一時預かりをお願いしている病院なので、病室も看護婦さんも知っているからかもしれません。でも、夜を過ごすのは初めてです。帰りながら夫と「望はいつものようにすぐに迎えにきてもらえると思っているのかもしれないね。夜になったら、こんなはずじゃなかったと泣くかもしれない。親に捨てられたと思ったらどうしよう」などと話しました。夜中も、私は、望が泣いているのではないかと心配でたまりませんでした。

翌日の夕方、病院に駆けつけました。望は、私を見ても泣くこともなく「やあ」という感じで、私を迎えました。夜も泣かなかったようです。拍子抜けしながらも、ホッとしました。担任と養護学級の担当の先生が来てくださいました。望が入院したと聞いて、クラスメイト達は、お見舞いに行くと大騒ぎだったそうです。先生は、望を見て「ちょっと安心した」と言われながら、1冊に綴じられたクラスメイトからの手紙を渡してくださいました。

子ども達の顔を思い浮かべながら読みました。「のんちゃんがお休みでさみしいよー」とか「はやくいっしょにだるまさんがころんだしようね」という文章だけでなく、「きょうは、算数はそろばんをしたよ。おもしろかったよ。理科はしんだんテストをしたよ」とか「体育は、手つなぎおにをしたよ。国語はもうどう犬のことについて発表練習をしたよ」などと、その日の様子を知らせてくれている友達がたくさんいました。そして、「全員そろいたいから早く来いよー」、「みんなそろって3年1組だから早く来てね」という文章もありました。手紙集は「望が障害児だから」書かれた物なのではないことを物語っていました。きっと他の友だちが入院しても同じ内容だろうと思いました。身体が不自由だとか、知的に遅れがあって勉強はわかっていないとか、子ども達には関係ないのです。一緒に勉強をして遊んでいるクラスメイトの1人なのです。大人にすれば、望には「解っているはずもない授業」かもしれません。でも、子ども達には「一緒に勉強している仲間」なのです。

子どもの力ってすごい、その子ども達のいきいきとした力を引き出してくれた教師の力量もすごい、そして、望もすごいと、私は感動していました。3年生の1年間の、いえ、毎年クラスメイトや担任は変わっても、「3年間」の結果を見た思いでした。私は、正直、2年生までは、友達と一緒に居続けることを迷いもしてきました。でも、この1年間で、迷いはなくなりました。望は、「人の中に存在する力」をつけました。それは、望の「生きる力」です。そして、今度の入院で、私は、望の力とともに、望の親からの愛情に対する自信を感じました。

点滴がはずれたので2泊で退院しました。入院は大変でしたが、望は、親離れをし、クラスメイトからの宝物を受け取りました。私は、うれしくて、ちょっと寂しくて、そして、子離れしなければと思いました。

ひとこと

退院後も、また3月中旬に嘔吐風邪になりました。これは入院することなく回復しました。3月下旬には、私がダウンしました。それでも3月末には、親の会のスキーキャンプに家族で参加し、志賀高原に行きました。

桜の季節になりました。望は、4年生です。

手紙集表紙(だるまさんがころんだ・縄跳び)

85号 見出しへ戻る 87号