のんちゃん 便り
第91号 2003年 9月
夏休みが終わって
夏休みが終わりました。望は、この夏も相変わらず平熱38度以上の状態で、睡眠時間がとても長く、体力の消耗を感じましたが、体調を大きく崩すこともなく、学校のプールは、授業も夏休みのプール開放も皆勤でした。少々雨が降っても水温が低くても、「みんなと一緒」を選んで、がんばって入水していたようでした。一方、勉強はというと、夏休みの宿題を拒否されて、私はしばしば困りました。「宿題は?」と聞くと、寝たふりをされました。私の方は、望のコミュニケーション手段の確立を図るための勉強をしようと思っていたのに、できませんでした。望に宿題のことは言えません。冬休みこそはと、昨年もそう思ったような気がします。
この夏休みは、先天性四肢障害児父母の会の全国総会で北九州に一泊で行ったことと、琵琶湖に日帰りカヌーに行ったくらいで、家族での行楽は少ない休みでした。父母の会総会は、初日は、新幹線で小倉まで行き、そこから会チャーターのバスで宿泊先まで行きました。望は、新幹線に乗ったこと、外食したこと、懇親会でよそのお母さんに食べさせてもらったことが、楽しいことだったようです。翌日は、私と2人で、JR門司港駅から博多駅まで行き、博多から地下鉄で天神まで行きました。電動車椅子で、小さな冒険をしました。車両乗り降りは、スロープを渡してくれましたが、着駅の博多と天神どちらも、ホームでスロープを持って私たちを見つけられずにいる駅員さんに、乗車口から大声で「スロープ、こっちです!」と叫ばなければなりませんでした。地下鉄では、切符の購入にも時間がかかりました。駅員さんが、慣れていないのかもしれません。博多も天神もエレベータがあり、段差に困ることはありませんでした。
天神で、大学時代の友人と久しぶりに会い、食事をしました。お互い子ども連れでゆっくり話もできず、わずかな逢瀬でしたが、懐かしくてうれしくて心が温かになりました。その後、友人と別れ、人工呼吸器をつけた子の親の会「バクバクの会」の全国大会の記念講演・シンポジウムに行きました。講演の間は、私に抱かれて昼寝をしていた望ですが、シンポジウムの間は、バクバクの会の子どもの兄弟達とボランティアの方々と遊んでもらいました。大会は、共生共育がテーマで、元気をもらいました。帰りは夫と合流して、駅弁を買うのがやっとというあわただしさで、博多から新幹線に乗り込みました。レトロ門司も素通りで、博多の屋台にも寄れずに、観光もお土産もなしの旅行でした。もう少しゆっくりと楽しみたかったです。
琵琶湖でのカヌーは、我が家と身体障害をもつ友人と介護者の5人で行きました。大勢で遊ぶことの大好きな望は大喜びでした。暑さの苦手な望ですから、海水浴の経験はありません。夏に湖水の上で日を浴びて、大丈夫かなと心配でした。昨年の秋のような大きな声は少なく、昼前の暑さに少しぐったりしたようすでしたが、クーラーの効いた食堂で昼食をとった後は、元気にカヌーに乗っていました。午後から波が出て危なくなったので、早めにあがりました。陸に上がった望は、電動車椅子に乗ると、一緒に行った電動車椅子に乗っている私の友人と遊んでいました。望の巧みな操作に友人は驚いていました。
現地解散をし、私たちは、滋賀在住の仲人さんのお宅を訪ねました。おいしい夕飯をご馳走になり、あれもこれもと土産まで持たせていただき、なんだか実家に帰ったみたいで、胸がいっぱいになりました。身体は疲れましたが、心が満ち足りた1日でした。
夏休み、もっと望にとって楽しい体験を計画したり、向き合う時間をとったりすれば良かったと、反省ばかりです。来年の夏は、なにか面白いことを計画しようと思っています。
「えんとこ」
友人に誘われて「えんとこ」(伊勢真一監督)というドキュメンタリー映画を観に行きました。えんとこは縁のあるトコ、寝たきりの遠藤滋さんのいるトコ。24時間3交代で介助する若者達と遠藤さんの日常を記録したものです。
近くに住むお母さんは、我が子を抱え込むのでもなく、放り出すでもなく、その距離感がとてもよかったです。お正月にお節を持って来られ、器に盛ってベッドサイドに運び、介助者に「よろしくお願いします」と頭を下げて帰って行かれる姿と笑顔がステキでした。あんな母親になりたいと思いました。
印象に残った場面がもうひとつあります。精神障害(多分)をもつ介助者が、カメラに向かって「どうしてカメラで写すんですか?何の必要があるんですか?」と訊ねます。「別に必要はないんだけど」とカメラの人。「意味が無くても楽しいですよね」「意味もなく生きていても楽しいですよね」と介助者。遠藤さんが「意味の無い方が楽しいんじゃないか」と言います。介助者は、自分は意味を考えすぎてこうなったけれど、最近、意味を考えなくていいと思うようになったら楽になったというようなことを言います。
意味が無いから楽しい、そうなんだと共感しながら観ました。生まれたいから生まれてくる、生きたいから生きていく、そのことに意味付けをする必要はないと、望に教えられたからかもしれません。生きていく道程で、寄り道があったり、回り道したり、必要がない、意味がないと思われるそのことが、本当はとても大切だったりすると思うのです。人に会うのも、意味を持たせようとすると気が重くなります。意味なんて必要なくて、会いたいから会うのがいいのです。楽しく友人と語り合うと、元気が出てきます。そして、時として、意味は後からついて来ます。話したことで、心が揺らぎ考えることで、意味を持つことがあります。遠回りをした道が、後になれば、大きな意味を持ってきたりするのだと思うのです。だから人生はおもしろいと、そんなふうに思えるようになりました。
意味もなく傍に居続けることでできたその映像は、多くを語り多くの意味を持っていました。「生きていくこと」を考えさせられるものでした。ただ、支援費制度が始まって、遠藤さんの生活はどうなったのだろうと、そのことが気になりました。資格をもたない若者達が、介助に入ることができなくなります。制度や資格についても考えさせられました。ぜひ、もう1度観たいと思いました。
ひとこと
運動会の練習が始まりました。なんと、望は、電動車椅子で「その場かけ足」をしていたとか。先生にうかがって大笑いしました。望の運転を見たことのある方は、想像できるでしょう。運動会が楽しみです。