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のんちゃん 便り

第92号  2003年 10月

燃えたよ運動会

9月28日日曜日に運動会がありました。ここ2年ほど、雨にたたられた運動会でしたが、今年は、晴天に恵まれました。望は、入場行進は、電動車椅子で無事に行い、校長先生やPTA会長の話を聞くのも、準備体操も一生懸命でした。「いつもあれくらい集中してくれたら」と、先生が練習の時におっしゃって、「本当に勉強もそれくらい熱心にしてくれたら」と笑いあっていました。

望が最初に出た種目は、「台風の目」でした。これは、手動の車椅子に先生お手製の台をつけてもらい、その上に棒を置いて行いました。練習の時は負けていたようですが、先生が「どうしても勝ちたかったから、改造を重ねた」台のおかげか、望のチームが1等でした。負けん気の強い先生と望は、なかなかいいコンビのようです。次の出場は、80メートル走でした。昨年に続いて、電動車椅子で走りました。この春、最高速度を時速6キロにあげましたが、友達には全くかなわず、今年もスタートすぐにみんなに置いていかれました。望は、友達の走り行くほうを見て、あせっている感じでした。「はやく進んでよ、もう!」と思っていたのかもしれません。悔しかったのかもしれません。それでも、最後まで走り終えて、みんなの所に行きました。私の後ろで、どこかのおじいちゃんが、「あの子、がんばっとるなあ。がんばれよー」と言っているのが聞こえました。電動で走っているので、決してがんばっているわけではないのですが、望の懸命さに「がんばれ」という言葉が出たのでしょう。私の横では、望を指差しながら、手話で会話する2人連れがいました。出場している子どもに車椅子の子ども達がいて、観客席に車椅子や聾の方がいて、そんな光景が、ごくあたりまえにありました。

日差しが厳しくなり、気温が上がってきても、望は、クーラーのきいた養護学級で休むことを拒否し、友達と並んで他の学年の競技を熱心に見ていました。先生が濡れタオルで何度も顔を拭いてくださっていましたが、午後になると、顔も身体も真っ赤になり、目も少し充血して疲れた様子になっていました。導尿の時に、わざとゆっくり着替えさせたりして、少しでも休ませようとしたのですが、望は、『はやくはやく』と先生と私をせかし、いそいそと児童席に戻って行きました。心配になって、児童席に行ったのですが、わき目も振らずに見学しています。濡れタオルを頭から腕にかけて被せました。おとなしくされるままにしていましたが、目はトラックの方を向いたままです。

そして、自分の出る演技が近づくと、張り切って手にボンボンをつけてもらい準備をしていました。練習の時、クラス別に演技をして、お互いに感想を発言しあったそうですが、その時、他のクラスの子が「のんちゃんが上手に踊っていた」と言ってくれ、みんなに拍手されて望は得意そうにしていたようでした。本番も上手にできるかなと楽しみでした。登場の時、全員が下を向いて立ちます。望も頭を下に向けてじっとしていました。演技が始まりました。踊りの順番はよく覚えているようでした。先生がずっと横についていらっしゃいました。移動は少しもたついた時もありましたが、なんとかついて行き、手を上にあげて振りながら降ろしたり、回したりと、真剣な顔でやっていました。望は、かなり疲れているはずなのに、踊っているようすからはそれは感じられませんでした。

どんなに身体がしんどくても、望にとっては、やりたい気持ちの方が強くて、そのエネルギーが身体を動かすのでしょう。やりたくないことは、断固拒否するけれど、やりたいと思ったことは、がんばってやるのだと痛感させられました。望にがんばらせて「がんばることのできる子」にするのではなくて、望は、自分がやりたいと思ったことは、がんばれと言われなくても、いえ、たとえ誰かに止められても、がんばるのだと思いました。嫌な時には拒否するけれど、がんばる時にはがんばる、今はそれでいいのかもしれません。

運動会の練習期間は、約2週間でした。雨の日も多く、練習が思うようには進まず、先生方も大変でした。子ども同士で、望がどう参加をするかというような話し合いをする時間はなかったようです。練習期間が長すぎると、子ども達はだらけてしまうかもしれませんが、覚えるだけしかできない期間での取り組みになってしまい、子ども自身が考える時間の余裕がなかったと感じました。「させる、させられる運動会」ではなく、「みんなで作る運動会」であって欲しいと思います。「ゆとり教育」とか「生きる力」が言われます。生きる力は、教師が与えるものではなく、時間がかかっても、自ら考えたり、体験したり、友達の意見を聞いたりする中から生まれてくるものだと思いますし、望の存在は、その機会を提供していると思っています。私が言うまでもなく、先生方は解っていらっしゃるようですし、それが来年につながることを願っています。80メートル走も団体演技も先生が望の傍についてくださいましたが、来年は、子ども達の中から「私たちだけで大丈夫だよ」という声が出ることを期待しています。

大人の思いはいろいろありますが、望自身は、とにかく楽しくて、一生懸命にがんばったので、いい運動会でした。後は疲れを出さないことを祈るばかりです。

ひとこと

知人から「Love Letter 母なる大地に想いを込めて」(井上冬彦・PHP研究所)という写真集をいただきました。忙しくて体調も良くなかったので、気分転換と思い、ゆっくりとその美しいサバンナの風景を観ました。「『個のいのちを超えたいのち』の存在」、「すべての『いのち』がつながっていて、ぼくもその輪のなかにいるのだ」「何かが終わり、また別のかたちになって始まって行く」。写真の中にある「いのち」とその文章が、私の心にしみこんでいきました。1つのいのちが終わっても、別のいのちが始まっていく、それは血のつながりといったようなことではなく、「個」を超えたいのちのつながりなのだと、気づかされました。

私は、運動会を観ながら、子ども達1人ひとりにいとおしい「いのち」を感じていました。この10月、望は10歳になります。


(団体競技「台風の目」) (団体演技「生きてることってすばらしい」)


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